明治5年生まれの創業者栗田重太郎は、7歳にて東京都本所の大島金太郎鋳物工場に見習い工として入社、約10年間修業し、明治23年に18歳で故郷静岡市に戻り、下横田町で栗田鋳造所を創立した。
その後明治・大正~昭和初期に掛けて業績拡大に伴い、栄町(静岡駅前)、東町に移転、工場も拡張したが、第2次世界大戦の戦火により工場が焼失、昭和21年に本社所在地の豊原町に工場を再建、栗田潔(3代目)が満州より復員し業績も回復した。
栗田重太郎、平吉(2代目)の死去後も経営は順調に推移したが、工場の隣接地が宅地となり、鋳物工場を経営するには厳しい環境となった為、当時鋳物砂を購入していた小笠郡浜岡町の砂業者の紹介もあり、昭和42年に浜岡町池新田(現御前崎市)に新工場を建設した。工場立地に当たっては、当時の鴨川義郎企画室長(元町長)のご尽力が大きかった。
昭和48年に低周波誘導炉を導入、ダクタイル鋳鉄の生産を開始、51年には業界に先駆け、クリーンファンドリーを目指し、フラン樹脂造型法を取り入れた。
平成2年に創業100周年記念祝賀会を御前崎グランドホテルにて挙行、3年に栗田重徳(4代目)が社長に就任し、10年には1,000t/月産を達成した。19年には出荷量の増大に対応する為、第二工場(検査・塗装・出荷)を建設、直後のリーマンショックの厳しい時期を乗り越え現在に至っている。
- 明治23年(1890)
- 栗田重太郎(初代)が静岡市下横田町にて栗田鋳造所を創立
- 35年
- 静岡市栄町(静岡駅前)に新工場を建設、銑鉄鋳物製造を開始
- 大正13年
- 法人組織 合資会社栗田鋳造所を設立
- 昭和2年
- 静岡市東町に工場を移転、業務を拡大
- 20年
- 静岡大空襲により工場焼失
- 21年
- 静岡市豊原町に工場を建設、生産活動を再開
- 24年
- 栗田平吉(2代目)が代表社員に就任
- 29年
- 栗田潔(3代目)が代表社員に就任
- 42年
- 小笠郡浜岡町(現御前崎市)に進出、新工場を建設
- 45年
- 栗田産業株式会社を設立
- 48年
- 低周波誘導炉を導入、ダクタイル銑鉄の製造を開始
- 平成元年
- 工場を拡張、自硬性自動造型ラインを新設
- 3年
- 栗田重徳(4代目)が代表取締役に就任
- 4年
- 工場を増設、砂処理他最新鋭設備を導入
- 10年
- 6t低周波炉2基新設、1,000t/月産を達成
- 19年
- 第二工場(検査・塗装・出荷)を建設
ISO9001認証を取得 - 27年(2015)
- 3t高周波誘導炉を新設